ここ最近ず~っと考えていたこと。
善・平等・豊かさ・喜び等、一般に「善」ということだけを考えて良いのだろうか?
このことのみの追求だけで、
本当の世の中を理解できるのだろうか?本当に真理というものが分かるのだろうか?
そんなことを考えているうちに一つの本に出会い、答えを頂けた。
状態の変化は、知恵と知性の変化を意味し生命の状態の変化を意味する。
なぜ状態の変化があるのかというと、
①生活に何の変化がなければ、単調な喜びと楽しみを味わっているものに起こるように、その価値が徐々に失われるから。
②人は誰でもエゴ(自己愛)をもっており、普段は知恵のなかにありますが、抑制されなければ自己愛に溺れるから。
③状態の変化を通じて、人はエゴを抑制することに慣れ、快不快が交互に経験することにより「善」の感覚がより鋭敏なるから。
腑に落ちた。
人は我儘でだれでもエゴが存在するということ。
また安定して平和に生活を送れている期間が長ければ長いほどその価値は失われるということ。
「当たり前」という感覚は「価値があるもの」と認識できないということ。
だから自然災害等で一瞬で日常生活が失われた時に初めて「気づき」が生まれる。
また求めれば求めるほど、エゴは大きくなる。エゴは破壊する力をもっている。
だから状態の変化があることにより、知恵のなかで制御することを覚える。
何らかの理由で大事なものを失って、初めて大切さが分かる。
そしてこの喪失感は新たな「気づき」を生み、その感覚は以前より研ぎ澄まされるということ。
状態の変化というのは、生命の極意かもしれないですね。
あと、「知恵」と「感情」も不思議な関係だと思う。
知恵が感情を制御し、感情が知恵を制御する。
知恵のなかにあれば感情の暴走は制御でき、感情のなかにあれば知恵の暴走が制御できる。
両方存在していることで、バランスが取れるということなんですね。
「知恵」も「感情」もどちらも「価値があるもの」ということが分かった。
私にとって、大きな気づきでした。