管理人の「独り言」

 

2024.12.25

69 「私」は「多くの私」から成り立っている

 

小さな集合的意識が大きな意識を作り上げている。

 

最近思うことの一つ。

自分の意識というのは、実は自分自身の多くの意識の集まりということ。

つまり小さな集合的意識がひとつの大きな意識を作り出しているのではないか?

 

こんな風に考えると、腑に落ちる。

「私は私であるけれども、実は一人の私ではない」

 

「私」というのは、私の過去、環境、身体というバックボーンの集合体なのかもしれない。

多くのバックボーンが混ざり合って、一つの「私」を作り出している。

 

肉体は何十兆個も細胞でできている。

もしこれら1つ1つに意識があったとしたら、私は何十兆個の集合的意識で出来ている。

しかもこの集合的意識は全体へ大きな影響を与える。

例えば歯痛があっただけで、これら肉体の集合的意識は「私」という意識に痛みと不安を伝えてくる。

歯が痛ければ、その日は何もしたくない。力が出てこない。涙

 

集合的意識の1つ1つは、ちっぽけなもの。

しかし実は互いに協力し合っていて、このことが1つの大きな方向性を作り出し「大いなる意思」を作り出している。

少なくとも管理人の「私」はそう思っている。

 

色で例えたらわかりやすいのかも。

例えばひとつひとつの個性や意識を色と考えます。

360人いたとして、360色あったとします。

色はご存じの通り、CMYKでも1違えば微妙に色が違います。つまりこれが個性です。その360人の中で、赤色系(M)が多ければ、全体が赤っぽくなるし、黄色系(Y)が多ければ黄色くなる。そして常に状況は変わり、360人は変化している。外部に青色が登場すれば内部の360人(色)はその影響を受け、内部で青への共感が起きると一気に赤や黄色系は青になったりする。

これが現実で起こっている気がします。

 

もう一つ気が付いたこと。

それは、人は一人では変われない、ということ。

その理由は内部への変化が起こしにくいから。

必ず外的要因の「何か」があって、その何かを取り込もうとして内部が変わって変化する。

だから「私」という意識が変わる。

 

別に変わらなくても良い・・・という人もいるかもしれない。

しかし本人が変わらなくても時代が変われば置かれた環境は必ず変わる。

そうなると取り残される。

取り残されれば、生きにくい環境になる。必ず。

だから「私」は常に外部から新しい何かを取り入れる必要がある。

 

「私」というのは、「多くの私」から成り立っている。

これらが一つの大きな私の意識を作り上げている。

そして置かれた環境に左右され「私」は常に変化し続けている。

 

こういった考え方もいいかもね。(*^-^*)

こう思うと、環境によって「私」の考え方や行動が変わるのも納得できるもん。

 

 


ものづくりで学んだこと

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