管理人の「独り言」

 

2024.11.18

68 「目に見えていること」は、全体の一部分である②

 

意識をずらし目で見ようとしなければ違うものが見えてくる

 

2年程前に、目に見えていることは全体の一部分と書いたことがあったけれど、

その時とは違う視点で同じことを感じた。

 

こりゃ~~、世の中は奥が深いぞぉ!!

 

まず科学でも精神世界でも、

世の中は「光」で出来ていると感じる。

相反する世界なのだけれど、共通しているのは「光」だ。

 

物質は「光」で出来ている。

(※光は電磁波のような波で出来ている。)

最も分かりやすい例で言えば、太陽だったりライトの光だ。

精神世界でわかりやすい光の例は、気やオーラだ。

気やオーラは、人によっては「見えない光」である。

 

 

ところで管理人は、業界で言ったら「光学業界」に属して仕事をしている。

理系出身ではないので専門的な話は正直わからない。それでも「光」の知識や技術は耳にしやすい。

そこで分からないなりに多くの光学設計者や技術者に質問しまくる。

すると「光」の特性を色々教えてくれる。みんな優しいわ~。。

 

先日も色々質問していたところ、

光は物理的に「見えない」という現象が起こることに気が付いた。

 

1つは、焦点が合わないと見えないということ。

カメラや顕微鏡は良い例だと思う。

焦点が合わなければボケるか見えなくなる。だから調整するのが難しい。

人間の目もそうだ。

目の焦点が合わなければはっきり認識できないし、視界の外側の方はなんだか見えにくい。

 

 

2つ目は、人間の目は波長の可視光領域しか目で見ることはできない。

そもそも物理的に見える範囲そのものが決まっている。

だから可視光(およそ380~780ナノメートル)の範囲域外、つまり紫外線や赤外線は「見えない光」なのだ。

レントゲンのX線や電波の光なんて見えないもんね・・・。

 

 

3つ目は、光の波の干渉で、2つの波の山と谷が重なったときに打ち消しあって見えなくなる。

プラスマイナスゼロの状態だ。

ここは説明が難しいところだけれど、

山と山が重なったり谷と谷が重なったりすると強め合うので見えやすくなるのだけれど

山と谷が重なるとゼロになり存在が見えなくなる。

しかし注意が必要なのはゼロは見えなくなるだけで、存在自体が無いわけではないということ。

存在があるのに見えなくなるのって不思議~~!!(*^-^*)

しかもここに時間軸が入ってくると、さらにややこしくなる。笑

 

つまりここで言いたいのは、

物理的に「見えない」というのは存在しているのだ。

これは「見えない=存在しない」ではないという意識を持っていることが大切。

 

ちなみに、オーラは焦点をずらすと見えやすくなる。訓練は必要。

但し個人差があるので、必ず見えるとは断言できない。

 

オーラは見ようとすれば、見えないし

目の焦点をずらし見えないようすると、見える。

摩訶不思議(≧▽≦)

 

 

これらをまとめて考察すると、

人間の見える範囲、つまり住んでる領域自体そのものが限られていると思われる。

別の言い方をしたら次元というのかもしれない。

だからその領域以外は見えないのである。

でもひょんな干渉が起こったときに、その存在は表面化し認識ができ「見える」のである。

 

また「目で見る」というのは「意識」があって初めて起こる現象で、基本的に焦点が合っている状態。

逆説的だけれど「意識」がなければ目の焦点は合っていない状態かもしれない。

 

よ~く考えると、何かに集中しているときってそのことしか目に入らない。

他のことは目や頭には入らない。存在しているのにね。

でも集中力が途切れると、とたんに違うものが見えてくる。

 

ここのところってとても大切なところで、

意識と目の焦点は関係があり、意識がなければ焦点がずれて違うものが見えてくる。

あれ?これは

拘りを捨てたときに違うものが入ってくる仕組みと似ていると思った。

 

 

よって、結論。。

大事なことは2つ。

①世の中は目で見えることは全体の一部であるということ。

②意識をずらし目で見ようとしなければ違うものが見えてくるということ。

 

目で見ようとすると見えなくて、目で見ようとしなければ見えてくる。

 

まぁ!!

なんて不思議な世の中なんでしょう!!

 

うまく説明できたかな?

 


ものづくりで学んだこと

オリジナルぺージ