管理人の「独り言」

 

2024.1.16

51  「祈り」について考えてみる ③

 

日本で暮らす人はみんな祈られている。

 

管理人は「祈り」を追及している。

なぜなら崇高な極限のエネルギーと何となく感じているから。

 

祈りについて気が付いたことがあったので、今日もメモを残そう。

 

祈りとは、多くの人々のために祈る。

この祈りがあるからこそ、祈りがパワーとなり多くの人にエネルギーを与え、人を浄化する。

だからこそ、私たちは安心して暮らすことが出来ると感じた。

また祈りで浄化されるのは祈られた人たちだけでなく、祈った本人も浄化される。

 

日本で暮らしている限り、祈られていない人は誰もいない。

このことにようやく気が付いた。

今回はそのことを伝えたかった。

 

先日、奈良県の吉野に行った。

ひょんな不思議な出来事から吉野と縁が出来てそれ以来毎年訪れている。通っている感覚に近いかも。

もう4~5年経つかな・・・?

 

吉野は観光地として有名な町。

世界遺産にも登録されるほどの観光地なのに夕方6時にはすべてのお店が閉まっており、観光客は誰も歩いていない。

コンビニはなく車の音すら聞こえない。町の光も最低限。深々とした静寂な町。

とても不思議な町だわ。

 

その歴史は古く、多くの神社仏閣が存在する。

国宝級の仏像がずらりと並んだ神社仏閣には必ず祈りが存在する。代々受け継がれてきた深いお祈り。

静寂な環境にもかかわらずその存在感には圧倒される。と同時に畏怖の念を抱く。

 

吉野は実は山全体が世界遺産になっている。

その理由がよくわかる。肌でヒシヒシと感じる。

 

毎年朝6時半の勤行に参加している。

そうすると必ずお坊さんたちは国民のために祈りを捧げている。

特に災害等が起こったときは特別な祈りが捧げられている。

その中にはお正月に被災した能登半島の方々へのお祈りもあった。

その心は一点の曇りもないとても清らかな純粋な心。

お坊さんたちの清らかなお祈りは休むことなく毎日毎日続けられている。

 

だから祈られていない国民は誰ひとりいないんだ。

平和に暮らせているのはこうしたお坊さんたちのお祈りがあるからなんだわ。

そう感じた。

 

 

祈りはとても奥が深い。簡単ではないと思う。

そして吉野は町全体が祈りを大切にしている数少ない神聖な場所。

あの空海だって青年時代は吉野で修行したんですから。

 

祈りを追求していくと

本当はひとりひとりがみんなの為に祈りを捧げられれば

もっと大きな力が生まれ平和になっていくのかもしれない。

 

そんな風に感じました。

 

祈りの境地を知りたい方は、是非吉野へ行って体感してくださいね。

 

 

 


ものづくりで学んだこと

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