管理人の「独り言」

2023.5.31

36  「中庸」を考えてみる

 

どちらにも片寄らず中立的というだけでは、説明不足な気がする。

 

いや~、少し間が空いちゃいました。

ここの独り言って、実は書くのが難しいのです。

自分の心の高ぶりを感じた時に書くようにしているのですが、日々の忙しさで気持ちが高ぶらないこともあるのです。

こういう時は、深く感じたことを書くことができないのです。

それともう一つ、今日のタイトルにも関係してくるのですが、

ここの独り言はやや精神的な視点で書いている。だけど本編はものづくりという理論的な視点。両極端。

しかも、ここ2~3か月の私の頭の中はどちらかというと理論や物理に占領されていた。毎日が科学だった。

だから余計書けなくなる。。これホント。

理論と精神の両方の視点を維持するのって結構難しい。

 

だけど、ほんと~に、不思議。(>_<)

頭の中が科学で一杯になると精神世界は理論で説明できる気になる。だから科学者が精神世界を否定するのはよくわかる。

でもね、科学と精神世界の両方を勉強すると、不思議なことに気が付く。

 

精神世界を追求するとその中には科学があり、科学を追求するとその中に精神世界を発見する。

 

えぇ!!と最初は思った。驚いたわ。

両方勉強しているからこそ分かること。

 

さ、タイトルに戻ろう。

 

中庸とは?

どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。中正。中道。

片寄りがなく中立的であること。

 

と、調べると書かれている。

以前の管理人も対称的な2つの中間・中道でありどちらかに片寄らないことと思っていた。

だけど、これでは言葉が足りないと感じ始めた。

なぜなら陰陽のマークにもあるように、陰の中には陽があり陽の中に陰があるからだ。

 

最初にも書いたが、科学の中に精神があり精神の中に科学を感じる。

これって、陰陽のマークと同じだ!!って思った。

そしてこの陰陽の真理に気が付くには、

陰を思いっきり体験しないと陽は見つけられないし、陽を思いっきり体験しないと陰を見つけられない。

つまり両方を体験して、初めて中庸の意味が理解できると思う。

 

そこで、私が感じる中庸とは、

片寄らないで対称的な2つの事柄の中間を歩むのではなく、両極の2つを理解してバランスを取りながら調整することだと思う。また時代や環境は変化するものだから、時に陰になることもある。その時は自分を陰に寄せるのではなく、エネルギーや思考を陽へ移動させ、逆に陽の時は陰へ移動させる。まるでシーソーのように両極の2つを上手にバランスを保ちながら調整する役目が本当の意味での中庸だと思う。この調整が結果的に中立的に繋がるのかな?

そして対称的な2つの事柄を理解できるからこそできる技ではないかな。

 

もちろん、人それぞれだからどちらか一方に片寄るのも間違っていないと思う。

でも対称的な2つを知る方が世界は広がるし、視野は狭くならないと思いま~す。

 

陰の中に陽があり、陽の中に陰があるという考え方は、

日常生活においてとても役立つと感じています。


ものづくりで学んだこと

オリジナルぺージ