2023.5.06
「信仰心」は、心を養い、自分を磨く力があるのかもしれない。
「信仰心」には、とても大切な心や学びがあると思う。
信仰心とは、
神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。 経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。
※「日本大百科全書(ニッポニカ) 「信仰」の意味・わかりやすい解説」より
信仰心を宗教と考える人もいるかもしれないけど、ここでは信仰心と宗教は切り離して考えて欲しいと思いました。
世界中には、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などなど様々ある。
どの宗教でも共通しているのは「信仰心」と思う。
そして、「信仰心」から学べることはとても奥が深いと思った。今日は、そんな学べることを書いてみたくなった。
注意していただきたいのは、決してどこかの宗教に入信を勧めているわけではないということ。
普段暮らしている地域の氏神様を大切にし、先祖の仏壇やお墓参りを大切にすること。ただこれだけ。
この日常生活の中に、客観的に人として大切な心があるということが分かった。
信仰心から学べること
・自分を信じること
・他人を信じること
・自分を許すこと
・他人を許すこと
・奉仕する心
・見えない存在を信じる
・ありのままの自分でいる
自分を信じること、他人を信じること
色々な過程を経て、最終的には「実現力」に繋がると思う。
神仏や先祖を信じるということは、自分を信じることに繋がります。そして自分を信じることは他人を信じることにも繋がります。
この信じる力が自分の力を養い、他人から信頼され自己実現力へ向かっていきます。
自分を許すこと、他人を許すこと
色々な過程を経て、最終的には「包容力」に繋がると思う。
神仏や先祖と向き合うということは、自分と向き合うということになります。先祖ルーツ探索も自分と向き合っている証拠。
また「信じること」が出来るようになって初めて自分のネガティブな部分や失敗と向き合うことが出来る。そして1個1個の自分の問題点を見つめていく。これを繰り返すうちに「自分を許すこと」が出来て今の自分の全てを受け入れ始めます。これが結構難しい。自分を許すことが出来れば、ゆっくりと徐々に他人を許すことが出来るようになって行きます。その結果、包容力に繋がって行くと思います。
奉仕する心
色々な過程を経て、最終的には「心の豊かさ」や「洞察力」に繋がると思う。
人の温かさや大切さを感じ、倫理観が養われ、心や感性が豊かになります。また奉仕は利他の精神。奉仕することの大切さや謙虚さを学び、同時に自分の欲望を抑える訓練になります。その結果、先入観に捉われず視野が広がり客観的に物事を深く視る力が養われます。
見えない存在を信じる
色々な過程を経て、最終的には「観察力と想像力」に繋がると思う。
神仏や先祖を信じるからなのか、偶然の出来事に意識が向かう。そしてどうして起こったのだろう?と探求心や追求心が生まれ、観察をすることになります。観察を積み重ねていくと自分なりの仮説が生まれこのことが想像力の幅を徐々に広げることになります。
ありのままの自分でいる
自分に対して素直になれる。これが一番。
徐々に自分に対して嘘をつきたくなくなる。同時に他人に対しても素直な自分で接したくなります。
無理のない自分が一番心地良くなってきます。素直な自分は、心の余裕を生みます。心の余裕は日常を変化させます。
上記の内容が正しいかどうかは分かりませんが、感じたことを書きました。
人として普通のことかもしれないのですが、心に鎧をかぶった人は多いと思います。
「信仰心」には、心を養い、自分を磨く力があるのかもしれないと感じています。
自然を大切にし敬うことも「信仰心」ですよ!!
何かの参考になれば幸いです。(*^-^*)