「ダム式経営」には「祈り」の境地の心に感じる。
何年も前から感じていたこと。そして皆様に感じて欲しいと思ったこと。
松下幸之助氏が提唱する「ダム式経営」のお話は、
人々に対しての「祈り」の境地の心であり、それを実践した人ではないのかな・・・?
そして、その心を継承したのが稲盛和夫氏だったのではないのかな・・・。
管理人には、「深い祈り」の境地に感じます。
松下幸之助氏が提唱する「ダム式経営」とは?
松下幸之助.com まず願うこと――繁栄への発想〈2〉より
あるセミナーでのこと。
(松下幸之助氏)
“川にダムがなければ、少し天候が狂っただけで、洪水になったり、干ばつになったりする。しかしダムをつくれば、せきとめ溜めた水をいつでも有効に使うことができる。それは人間の知恵の所産である。経営にもまたダムがなければならない。経営者は『ダム式経営』、つまり余裕のある経営をするよう努めなければならない”
話が終わったとき、一人の経営者が質問をした。
「いまダム式経営が必要だと言われました。が、松下さんのように成功されて余裕があるところではそれが可能でも、私どもにはなかなか余裕がなくてむずかしい。どうしたらダムがつくれるのか教えてください」
(松下幸之助氏)
「そうですなあ、簡単には答えられませんが、やっぱり、まず大事なのはダム式経営をやろうと思うことでしょうな」
このときの聴衆の一人に、今は世界的な企業に成長している会社の経営者(稲盛和夫氏)がいた。創業して四、五年、まだ経営の進め方に悩んでいたころである。この幸之助の答えにその経営者は、身の震えるような感激と衝撃を受けたという。のちに、幸之助と対談した際、彼はこう言っている。
(稲盛和夫氏)
「そのとき、私はほんとうにガツーンと感じたのです。余裕のない中小企業の時代から“余裕のある経営をしたい、おれはこういう経営をしたい”と、ものすごい願望をもって毎日毎日一歩一歩歩くと、何年か後には必ずそうなる。“やろうと思ったってできませんのや。何か簡単な方法を教えてくれ”というふうな、そういうなまはんかな考えでは、事業経営はできない。“できる、できない”ではなしに、まず、“こうでありたい。おれは経営をこうしよう”という強い願望を胸にもつことが大切だ、そのことを松下さんは言っておられるんだ。そう感じたとき、非常に感動しましてね。ただ多くの聴衆のなかには、そういう精神的なものについてはあまり好きではないものだから、何かもっと簡単な、アメリカ的な経営のノウハウでも教えてもらえるのではないかと期待していた人も多かったようですがね」
ここで大切なのは、まず「願う事」だと思う。
松下幸之助氏は、みんなのための「経営のダムを作りたい」と誰よりも強く願いました。
そしてその「願い」を追い求めた先に「祈り」になったのではないかな?
また一人の「深い祈り」が何かを動かすエネルギーになったのでは・・・・?
管理人は、何となくですが・・・感じます。
「願い」とは、過去の経験や挫折など自己の内なるマイナス感情を昇華させた先に生まれてくるものではないかな?
そして生まれてきた「願い」をより磨き洗練させることで、「願い」から「祈り」に変わるのではないのかな?
そんな風に感じました。
稲盛和夫様のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
※下記に「ダム式経営」について掲載しますが、
より詳しい内容は、こちらを参照にしてくださいね。
https://www.shikumikeiei.com/dam-management/
ダム式経営について 関西経済同友会セミナー(1965年)より
水を流れるままに流して水の効用をムダにするのは、まことにもったいないことであるのみならず、そこからたくさんの被害が起こってくる。それでところどころにダムをつくりまして、水の流れの調整を図る。天から受けた水は一滴もムダにしないようにやろうというので、今日、各所にダムをつくって水の効用を経済的に生かしているわけでございます。これはもうすでに皆さんよくご存じのとおりでございます。
われわれのにもそういうようなダムというものが必要ではないかということであります。 私は先ほど申しましたように、アメリカの会社が二度の戦争を通じて、なお値段を変えずして、ある一つの品物を売り通したということは、これはダム経営をやっておったからだと解釈していいと思うんです。今、日本の実情を見ますと、設備の上にダムがないですよ。 設備をどんどん増やした。 そして製品が全部売れると思った。ところが売れない。 それでやむをえず設備の20パーセントを余らせる。 これはダム意識によって余らせたんではございません。売れるだろう儲かるだろうという、経営意欲に駆られてやったのであって、ダム意識によってそういうようなことになったんではないと思います。
私の言うダム経営というものは、最初から一割は余分に設備を常にしておかないといかん、それは社会的事変に対するところの企業者の責任であるという自覚であります。その自覚において、普通の需要を正確に設定いたしまして、変事に備えるために一割の設備増強をやっておく。 これは意識の上にある。 これが私はダム経営やと思うんですでありますから、少々の変動があったり、需要の喚起がありましても、そのために品物が足りなくなったり、値段が上がったりすることはありません。
そのときは余分の設備を動かせばいいんでありまして、あたかもダムに入れた水を必要に応じて流すようなものでございます。 そういう意味の、設備のダム設置、いいかえますと設備の増強です。 したがって採算はどこにおくかといいますと、採算は、常に90パーセントの生産をして引き合うところにおいてやっていく。 はたして日本の経営はそういうようにやっているかどうかですが、日本の今日までの経営を見てみますと、需要を過大に評価して、そうしてそれに対して設備を拡張していこう。 だから、したものは全部動かさないといかん、全部動かさなければソロパンに合わないと、こういう状態になっておるんではないかと思います。これはダム経営でも何でもありません。
非常に極端にいいますと、無責任な経営とこういうように思います。したがって、売れないときには非常に値を安くして競争する。 過当競争する。 まあこれぐらい拡張したらいいだろうということで拡張したが、もっと要るときには、値段がやっぱり上がるということになります。これは設備だけでありません。 資金の面におきましても私はそういうことがいえると思うんです。 資金の上にもお互い資金のダムをつくらないといかんのです。 そこに入れておかないといかん。 必要に応じて資金を使う。 要らんときにはダムで余らせておく。こういうことをやっぱりやらなくてはならんと思います。そうでないと安定経営というものが生まれてこないと思います。
資金は、ダムが空っぽになってしまっている。そのうえにまだ雨が降らんからというて、願うがごとく銀行へどんどん交渉に行っている。(中略)そこに非常に資金的に無理があります。だから資金を獲得するために安売りをする、横流しをする、原価販売をするということになる。そこに過当競争がまた起こってくる。資金のダムをもっていないという経営のあり方、私はこれはもういけないと思います。これは今後において、やはり是正していかねばならん問題だろうと思うんです。これもダム経営の一環としてやっぱり考えねばならんと思います。