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その要因は「資金力」ではなく、「設計者」不足。
お取引さまを訪問すると、
この製品もったいな~い。まだ開発を続けばもっと良い製品になるのに~!!と思ったことが沢山ある。
例えばハードウエア部分の改良ではなくて、ソフトウエアで改良すれば良いのに~~と思うことも度々あった。
だけど、ソフトウエアの改良だってそう簡単にはいかない。
なぜなら、ハードウエアと連動しているからだ。
難しい装置になればなるほどハードウエアをきちんと把握していないとエラーになるからだ。
だからハードウエアとソフトウエアを理解している人が必要だ。
さて、タイトルに戻ろう。
お取引先様で「弊社にはこれ以上開発する余力はありません」と何度か聞くことがあった。
その主な要因は、実は「資金力」だけではない。
「資金力」も必要だがそれよりも開発できる「設計者不足」が大きな要因だ。
設計者は豊富な知識と経験が必要とされ、更にこれらによって培われるセンスが求められる。
そして設計者は簡単には育たない。とにかく一人前になるには時間が掛かる。
仮に設計者を育てようと新入社員に設計をさせても「失敗」に終わる可能性が高い。
また人気にある設計者は、どんどん他社へ転職してしまう。
そうなると、既存製品の開発は止まってしまいバージョンアップされなくなる。
これが「開発する余力がない」という根拠になるのです。
良い設計者を長く雇い続けるのが企業にとってとても大変なことと思った。
この問題は、特に多くの中小企業で見られる。
ものづくりを勉強していると、設計者の重要性を強く感じます。
開発製品が成長するかどうかは設計者の腕にかかっていると言っても過言ではない。
今後もしかしたら優先度が高い教育は設計者を育てることかも知れないな~~!!って思いました。
独創性・複雑なデザインはコスト増加に繋がるので見直し要求される。
大阪万博の建設ニュースでやっぱり設計と現場は乖離している!!と改めて感じた。
複雑なデザインは敬遠され、海外パビリオン建設で工事申請がゼロだったという。
独創性や複雑なデザイン設計は、本当に建設費が高騰する。
規格外の建設は、建設工程が増えるだけでなく資材の仕入れも高騰するからだ。
機械で出来ない加工は、職人技に頼ざるを得ない。そうなると人件費や期間も余計かかる。
最終的に大阪万博の延期は避けたいから、デザインの簡素化による再検討もあるとのこと。
これは、建設業界だけでの問題ではない。
光学業界でも同じ問題が起きている。
ということは、どこの業界でも起きていると改めて感じた。
そこから見えてくることは、
日本の産業はデザイン性を取り入れにくい。その最たるものが自動車だ。
無駄の少ない合理的な生産システムを最優先にするため、
デザイン性のある複雑な設計は正直NGなんだわ。余計な生産費用や工程が発生するもん。
だから結局似たような車が街中を走行している。
いくらデザインが良くてもコストが増えれば結局斬新なデザインは見直しされる。
きっと設計と生産現場の乖離はあらゆる業界で何度も繰り返して来たのだと思う。
だけどこの生産システム構造を変えることは、なかなか難しいだろうな・・・。
まして国力が低下している中、大阪万博のような巨大プロジェクトの費用増は国民から反感を買いやすい・・・。
これも国民性なんだわ。
でも、この生産システムはいずれ限界を迎える気がする。
う~ん。。難しい問題だわ!!
とりあえず独創性や複雑なデザイン設計は、生産現場では敬遠されるということだけはメモしておこう!
スピードとプラスαの何かを求めている。
販路開拓をしていて、感じたこと。メモメモ。
後発品で市場開拓する場合は、既存製品を何かしら上回らなければいけない。
その中で必須なのは「スピード」。
お客様は既存機よりスピードが速くなければ絶対に買わない。
だ、だけど、なかなか厳しい。
スピードが速くなっただけでは、なかなか首を縦にふらない。購入してもらえない。
スピードは生産量増加させる魅力的な要素だけれど、なかなか販路開拓は難しいということに気が付いた。
後発品だから、スピードが速くなるのはお客様にとって当たり前なんだわ。
その他に付加価値が無ければいけない。
「後発品でしょ?他に何かない?」と何かを期待している。
お客様の目は厳しい。
既存機を上回る何か新機能が無ければ、製品としてつまらないのかもしれない。
正直、お客様にとってはがっかりさせるのかもしれない。
でも1つだけ分かった。
実はお客様は後発品には何かを期待している。好奇心はあるということ。
ただしスピードは当たり前。プラスα。
そのことが分かっただけでも、何か得た気がします。
設備導入の目的によって装置の仕様は変わってくる。
今日も聞いていて思った事。
あるお客様が今お持ちの大型測定装置とは別に大昔に購入した装置のリニューアルを検討していた。
この測定装置は高さが2m以上にもなる大型装置だ。
このリニューアルは、最初は単なる自動化の要望から始まった。
現行装置が手動だから自動化にしてより使いやすくしたいと・・・。
そして段々と話を進めて行くと、要望はどんどん増えてくる。
追加要望で現行装置より測定できる範囲を広くしたいと・・・。
ここまではよくある話で、他社でも似たようなことがあった。
でもね、装置というのは大型化すればするほど振動が大きくなり別の問題が発生する。
また移動量も大きくなり、結果的に作業効率の悪さや精度も悪くなってくる。
この点で設計者とお話をすると、
「そこまで大きくする必要があるのかな?」という声もよく聞く。
「それよりももっとコンパクトにし使いやすくし、生産数の多い材料に対応した方が作業効率が上がるのでは?」
「同じ装置を2台並べるより使い分けをした方が良いのでは?」
同意見だ。
必要以上に大型化しない方が良いと管理人も内心は思う。作業効率が悪くなる。
話は変わるが、
管理人は15年ほど前、ある大手小売店に勤めていた。
当時日本一の敷地面積を誇る大型ショッピングモールが建設されそこに転勤になった。
この敷地面積とその広さを活かした品数が一番の売りだった。
しか~し、余りにも広すぎて結果的に敷地面積に見合う費用対効果は得られなかった。
なぜならお客様にとっては駐車場に入るまでに時間が掛かり、入口からレジまでが遠く、品数は多いけれど歩くのが大変。買い物に来ているのに疲れてしまう。正直不便だったのだ。
また販売員にとっても負担は大きい。お客様用駐車場が遠ければ販売員用の駐車場は更に遠い。品数は多ければ多いほど商品管理は難しくなり、廃棄も多くなる。数年経てば赤字はどんどん膨らんでいった。
数年後広さと品数が売りだった売場は縮小され、他社に店舗として貸し出していた。失敗だった。
この時必要以上の大型化はかえって効率を悪くさせることを学んだ。
話は戻すが
今回の測定装置のリニューアルをお客様が要望している。
ということで、2パターンを提案することにした。
・大型化すると測定範囲は広くなるが精度や作業効率が悪くなる。
・小型化すると全ては測定できないが生産量の多い材料に特化し、作業効率が圧倒的に良くなる。
どういう判断するかな?
最近の流れでは、経営者は「測定範囲>作業効率」を選ぶ傾向が強い。
たぶん大型化することで作業効率が悪くなることを理解していないからだと思う。
もう一つの理由は、測定範囲を広げるところで受注できる幅を広げたいという考えもある。
上記のことは、何社かで感じたことです。
設備導入目的が何かによって、装置の仕様は変わってくると思います。
何かの参考になれば幸いです。
標準仕様は情報共有されているけれど、カスタマイズは共有されていなかった。
あら~、社内で共有されていないのね。。
もったいない~(>_<)
先日も、そんなことを感じた。
よくある話ではあるけれど、担当者間で大事な情報が共有されていないことがある。
こういうのって、会社の仕組と関係する場合が多い。
しかも個々が忙しいから同じ情報を共有するのがなかなか難しいのも事実と思う。
さて装置開発で様々な会社に販売するときのこと。
基本の標準仕様は同じだけれど小さなカスタマイズで会社ごとに違うことがある。
このカスタマイズの部分が社内で共有されていないことがある。
例えば、A社向けに便利なXという機能をつけて販売したとしよう。
そのX機能をB社にも転用できるのだけれど、
B社担当の技術者や営業マンがそのX機能があることすら知らないことがある。
当然のことB社にはX機能は追加されない。
この機能が便利な場合はB社はもっと効率がよくなるかもしれないし、販売する側にとっても売上に貢献する。
また技術者や担当者がきちんと情報を知っていれば何かの時に情報が広がっていくかもしれない。
こういう時って、なんかもったいないぁ~って思います。
上記の説明は分かり難かったかもしれないけれど、
共通認識で標準仕様は理解していても、カスタマイズ部分の情報が共有されていたいことってよくあるのです。
外部から見れば、なんかチャンスを逃しているように見えたりするのです。
よくある話ですけどね・・。
売上好調のデザイン主導の象印「STAN.」シリーズから読み取れること
このHPで何度か書いた記事の一つ。
日本のものづくりは機能や生産システムが優先になり、デザインはその機能や生産ができる範囲で考案される。
したがって、日本では奇抜なデザインは生まれにくいという特徴がある。
そんな状況のなか、先日のテレビでちょっと気になった情報。
象印の「STAN.」シリーズ家電が好調とのこと。
2019年に新しく30代の共働き世代を開拓しようと開発され、発売当初37億円で年々右肩上がりで売上を伸ばしている。このブラックを基調とした「STAN.」シリーズは、デザインを先に考案してから機能を絞って開発されたという。
つまり今までの日本の開発とは逆のパターン。通常は機能を考えてからデザインを考える。
通常とは違う開発の流れだったので色々弊害があり、社内のデザインチームでは出来なかったという。
よって外部のデザイナー「TENT」に依頼したという。
TENTは、キッチンに馴染むように意識してデザインしたという。
キッチンという空間においても邪魔にならないように色や形状が工夫され、そのテーマは「うつわ(器)」。
食器と並べても器のように違和感のないようシンプルなものになっている。
また統一したデザインで電子ジャーや魔法瓶等シリーズ化し大ヒットを生んでいる。
おぉ。。面白い!!
重要なポイントがいくつも隠されている。
・デザイン優先で開発されたこと
・社内ではデザイン優先が難しかったこと
・外部のデザイナーに依頼したこと
・機能は絞られているということ
・共働きを意識されていること
・生活空間を意識され開発されたこと
・シリーズで統一化されたこと などなど。
もっと隠された秘密は沢山あるでしょうが
上記の内容はいざ実践しようとすると企業にとってものすごく大変だと思う。
また若い世代の生活が昔とは違った趣向になってきているのがよくわかる。
単なる「もの」という意識ではなく、自分の生活空間を大事にしているのが読み取れる。
もしかしたら若い世代の新しいライフスタイルが
新しい「ものづくり」を根本から変えていくのかもしれないな~なんて思いました!!
実は、「ひとりで考えたアイディアの方が生産性が高い」かも??
管理人には何度も読んでいるあるお気に入りの本がある。
そこにはスティーブ・ジョブズやイーロン・マスク、ニコラ・テスラなど多くのイノベーター達を研究し、
そこから導き出される面白い仮説が書かれている。
その1つが、「集団で考えたアイディア」対「ひとりで考えたアイディア」だ。
この問いだけを単純に考えると、
「集団で考えたアイディア」の方が多くの発想が生まれ、しかも有利で実現性が高いと思う。また多くのビジネススクールで取り入られている手法だ。しかし、実験室で行われた検証では全く逆の結果が出たという。
それは「集団で考えたアイディア」の方が「ひとりで考えたアイディア」時より生まれるアイディアの数が少なく、しかも斬新さに欠けるという結果が出たそうだ。
「なぜ集団でアイディアを発想する方が一人で行うよりも生産性が低いのか?」という仮説では3つある。
①便乗問題。
②評価への不安
③生産の妨害
①の「便乗問題」では、集団内の誰かがアイディアを出し合うと考える努力をしない者が現れる。
②の「評価への不安」では、集団でアイディアを出し合うと否定的な評価をされることを恐れてアイディアを発表すること自体を躊躇する。
③の「生産の妨害」では、集団内で順番にアイディアを発表すると、最後の方の者は自分の番が来るまでにアイディアを忘れてしまう。また他人の発表に耳を傾けているうちに思考パターンが変わってしまい、アイディアを生み出す作業の妨げになる。
この実験では高校生と大学生に参加してもらい、集団でアイディアを発想を行った場合と、ひとりで発想した場合でどれだけ違いがあるかを検証した。「便乗問題」の検証では、あるグループにはアイディアを一人一人評価すると伝え、別のグループには総合的に評価すると伝えた。その結果、総合的に評価されるグループの方がアイディアの「数」としては少なかったという。「評価への不安」の検証では、あるグループには第三者が評価すると伝え、別のグループでは仲間が評価すると伝え実施した。結果は仲間が評価するグループではアイディア数が大幅に少なく斬新さが欠けていた。「生産の妨害」の検証では、参加者は一人の部屋に入れられ順番に発表していく。待っている時は別の人の発表を聞かなければいけない状況と相手の発表が聞こえない状況とで検証したところ最も生産性が低かったという。順番を待たされるとアイディア数が減ってしまうのだ。
参考文献
著者:メリッサ・A・シリング
タイトル:「世界を動かすイノベーターの条件」
出版社:日経BP
な~るほど!!(>_<)
これら①~③ってどれも当てはまるぞ!!自分自身にも身に覚えがある。
特に学生時代は手を挙げて発表することに躊躇したのを覚えている。多くの人が経験していると思う。
また集団ならではの心理が働いているのもよく分かる。第3者に評価されるより仲間に評価される方が心理的圧力が非常に高い。。仲間に嫌われたくないもんね。
もし変なことをしてしまったら、学生なら学校生活、大人なら会社や職場に影響が出る。
だから「事なかれ主義」を選択してしまう。振り返ってみると、小学生のころから「事なかれ主義」という環境で育てられているのかもしれない。それに他人の意見を聞いていくうちに自分の考えが変わるなんてよくあること。テレビのクイズ番組でも先に回答した答えを後の人が真似て斬新さが欠けることは日常茶飯事。その通りだわ。
管理人の推測だけれど、「時間厳守」という教育も個性を伸ばせない要素と関係があるのかもしれない。特に日本人は時間に厳しい。計画通りに実行したいからこそ、その場を乱すような言動は慎まなくてはいけないと皆が思っている。だから個人的我が儘でみんなの時間を削ったり巻き込んだりするのは反感を買いやすい。反感を買えば、その後の生活に支障がでてしまう。よって、「事なかれ主義」の人を多く生み出してしまう。
かといって時間は大切だから守るのも当然だわ。難しい・・・。。
少なくともこの集団心理が新しいアイディアを阻害しているということは十分に理解できた!!
集団というのは、生産性の高いアイディアを低くさせてしまう可能性がある。
確かに世界を一変させるほどのイノベーションを生んでいる人は、はじめは「個人」から始まることが多い。
「個人」のアイディアや意思を押し通せるぐらいエネルギッシュな人が、新しいものを創り出すんだわ!!
これらのことは大切なことで、視点を変えれば中小企業の強みにもなる。
ということで、次回へ続く。
アイディアの「発想」だけでなく「選択」する場合にも差が出る。
前回、アイディアの発想や発表する時「集団」と「ひとり」ではアイディア数など生産性に差がでることを書きました。特に集団になるとアイディアの数自体が減少することが起こる。それは仲間に評価されるという集団心理により阻害されてしまうからだ。
今日はその続き。
アイディアを実現する為には無数のアイディアから「選択」が行われる。
この選択には、実は「集団」と「ひとり」では差が生まれるという。
どういうことかというと、
例えば、今日の晩御飯を何を食べようか?という問いがあったとする。
無数の案が黒板に書かれていたとしよう。。
カレー、ハンバーグ、焼き肉、ラーメン、ファミレス、割烹、寿司、パスタ、チキンライス、激辛担々麵、フランス料理、石焼ビビンバ、エビチリソース、焼きそば・・・・。
貴方は、この中で何を基準にどのように選びますか?
①自分を含む10人グループの時
②自分のみの時
①の場合、グループが男性だったら焼き肉やハンバーグ、女性グループだったらファミレス、寿司、パスタ等大人数でも楽しめる場所や料理を考える。
②の場合、自分ひとりだったら大好きな激辛タンタンメン、石焼ビビンバ(←管理人の好み)
オリジナル性のあるカレー専門店とか・・
あらら~~。不思議。👀
同じ自分の選択なのに、選択基準が変わってしまう。
大人数だったら拘りがなくなりみんなが実現しやすい食べ物を選びやすくなる。更に店選びは他人任せになることが多い。しかし自分ひとりでは拘りが表に出てきて「浅草の●●のお店」などお気に入りの人気店に行ってしまう。
どうでしょう?この違い。。
皆さんも選択基準が変わりませんか?
管理人はグループとひとりでは、選択基準が変わります。
つまり多くの場合、同じ自分でも集団と個人では無意識に選択基準が変わってきてしまう現象が起こる。
もちろん①と②で同じものを選ぶこともありますが、それでも微妙に条件を変えていることが多い。
一人当たりの予算、空間、立地場所など。今いる地点から一番近い場所等・・・。
ここからがとても大切なところ。
①のグループ内に自分が所属しているとき、条件や心理的な働きで自分の好みよりグループの利益を優先する。
そうなると、グループ全体が実現しやすいアイディアを選択しがちになる。
その結果、グループ内では、実現性>創造性や好みを重要視する傾向がある。
②のひとりの時は、誰にも迷惑をかけないので楽しく食事をイメージしやすい。
そうするとひとりの時は、実現性<創造性や好みで選択する傾向がある。
つまり、これが「集団」と「個人」のアイディアの選択の差だ!!
とにかく集団では内容や質よりも実現性が好まれるということが分かる。
上記の内容を理解した上で、社内の会議をイメージしてみよう。
方向性を決めるとき独創性より実現性を選ぶ傾向がありませんか?
また大きな会社ほどリスクは取らず確実性を選ぶ傾向があるので、選択肢は意外と狭くなってしまう。
大会社だから色んな事に挑戦できる!!なんて思うかもしれないけれど、
意外と条件や縛りが多く、選択肢は少ないのかもしれない。
別の視点で見れば中小企業の方が自由やリスクがとれるので独創性は生まれやすいかもしれない。
これは中小企業がイノベーション誕生に有利なことを意味している。
まとめると、「集団」からは良いアイディアは誕生しにくいということ。
その理由は、
1、アイディアの発想の段階で数や質で生産性を低下させる。
2、アイディアを現実化させるため無数のアイディアから選択するとき実現性>創造性になりやすい。
その結果、イノベーションが生まれにくい。
伝わったかな~~??
結構大切なことと思うけど、ま、いっか。。(*^▽^*)
心理的安全性は、イノベーションを作りやすい土壌を作る。
おぉ。またシンクロが起きた。
前々回、前回「集団で考えたアイディア」対「ひとりで考えたアイディア」の記事で、集団では条件や心理的な働きでアイディアの生産性を低下させることを書きました。そうしたら、今週送られてきた定期購読(9月2日号)東洋経済で「心理的安全性」というタイトルが付けられていました。
よく読むと内容が重なる部分があるじゃん!!
やっぱり「集団」がゆえ、心理的に阻害されることって結構あるのね!!
こりゃ~~重要だ。( ..)φメモメモ
「心理的安全性」とは?
組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のこと。 組織行動学を研究するエドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義されています。つまり、組織という集団で自分の考えや気持ちを誰に対しても安心して発言できるという安心感があるということ。権力を握った経営者の恐怖政治のような企業では、この心理的安全性が低いとされる。
では、どうして集団や組織では自分の考えを安心して発言できないのか?
・無知だと思われたくないから
・無能だと思われたくないから
・邪魔だと思われたくないから
・否定的だと思われたくないから
会議中に他の人に変な質問をして無知だと思われたり、仕事で何度も失敗して無能だと思われたりすることへの心の不安が生じる。これが心理的安全性が低い状態という。
しかし注意すべきことがある。東洋経済の記事では
多くのビジネスパーソンが「心理的安全性の高い組織はぬるま湯的な組織である」と勘違いしていて、心理的安全性の高い組織には一定の緊張感も伴うとのこと。だけど目的を間違えると「ワイワイガヤガヤ、笑い声が聞こえる」だけの職場になってしまい、目指すは仕事の高いパフォーマンスを達成することであると書かれていた。
なるほど、なるほど。。👀
この記事からも読み取れることが沢山あるぞぉ。
ここでの多くのビジネスパーソンとは、比較的中間管理職以上の人達を指していると思う。東洋経済自体が上昇志向の高いビジネスパーソンをターゲットとしある程度企業に長く勤務し従業員を管理する側の人たちの考え方と思われる。つまり企業の上層部は「企業にはぬるま湯組織は必要なく、緊張感が必要」と考えている人が多く存在し、心理的安全性の高さは企業には必要なくそのような企業は生産性が低いと考えている人が多いと管理人は感じる。
逆に、「ワイワイガヤガヤ、笑い声が聞こえる会社」は心理的安全性が高い企業とも言い切れない。本当に意味での心理的安全性の高い企業は一定の緊張感がなければいけないということ。目的はチームの成果であってその場が楽しければ良いという訳ではない。成果が伴わなければ何の意味がない。
なぜ心理的安全性が必要なのか?
集団や組織の中で、絶えず情報が四方八方に流れているから。
その結果独創的なアイディアが生まれ、事業におけるイノベーションが生まれやすい。また旧態依然とした組織風土改革において推進力となり閉塞感を打ち破る要因の1つになるかもしれないと書かれている。
つまり心理的安全性が低ければ企業内での情報交換が少なく、新しい風が生まれてこない。新しい風が生まれなければイノベーションや新規事業が生まれてこない。よって企業は硬直化し衰退する。
これって企業だけでなく、家庭でも同じだと思う。家族が安心して話せる環境でなければ新しいものが生まれない。
では、どうすれば風通しのよい心理的安全性が高い企業になれるのか・・・?
続きは週刊東洋経済(9月2日号)を読んでくださいね。
お勉強になりますよぉ!!
2年間で多くの問題点を発見することが出来ました。
おぉ!!祝200回!!
皆様のおかげで、ここまで書き続けることが出来ました。
感謝と深く御礼を申し上げます。
HPを開設して約2年間経ちました。
最初の頃はものづくりの原理や開発の難しさ、中小企業の長所短所を書いていたのですが
追求していくうちにものづくり社会の構造的問題、技術の伝承問題、新時代に必要なことなど多くの問題点と今後の課題が見えてきました。特にAIや自動化の波は避けられません。
どの業界でも既存方法では通じず、新時代に対応した社会づくりが急務と感じました。
今後も感じたことや学んだことをお伝え出来たらと思います。
引き続きよろしくお願い致します。
※次回から新しい勉強に集中したいので、更新頻度のペースを落としたいと思います。
ものづくりで学んだこと