ここ6~7年「祈り」について考える機会があり、特に30代は「祈り」の修行だったと思う。
そして先日訪れた吉野の金峯山寺のお坊さんと、大峯山護持院の櫻本坊のお坊さんに聞いてみました。
お二人の話を簡単にまとめてみました。
祈りとは、心を込めてみんなの幸せを願う事。
みんなの幸せを心から願うことが、世の中を良くすることになる。
多くの人の祈りがあればあるほど、世の中は良い方向へ流れていく。
心を込めて願ったことが、目の前の現象として現われてくる。
そしてひたすら祈り続けることで、自分を高め、心が清らかになり
最終的には委ねても、全てに任せられるようになる。
「祈り」とはとても難しい。
みんなの幸せを1点の曇りもなく心を込めてひたすら願い続ける。
なぜ「祈り」というものが存在するのだろう?「祈り」とは何だろう?とずっと考えていた。
良い意味でも悪い意味でも「心に願ったこと」が、現象として表面化してくる。
そして良い出来事は感謝の気持ちを持ち、悪い出来事は恨むのではない。
自分が引き寄せたものと受け止め、反省すれば自ずと良くなる。
これは自然現象であり、宇宙の法則である。(お坊さんの言葉)
「ものづくり」を勉強していると科学・物理の勉強をせざるを得ない。
管理人はどちらかというと若い時から「精神世界」に触れる機会が比較的多かった。
そして長年「精神」と「科学」の両方を勉強した結果、
「精神世界」と「科学(量子力学)」は融合する
という結論に至りました。考えれば考えるほど、同じことを言っている。
「祈り」というのは、心の波長が共鳴を呼び現実化するのである。
これは精神世界の観点でも、科学という量子力学の観点でも「波長」と「共鳴」が共通し重要である。
目の前の出来事は「波長」により、心や物質を共鳴させ移動・拡大させ、引力が働くのである。
吉野のお坊さんも、自然の法則、宇宙の法則と言っていました。納得しました。
量子力学の観点で考えると、
原子の中の電子がエネルギーを受け励起(軌道が変わる)し、電子が基底に遷移するとき(元の軌道の戻る)に電磁波を発生させる(エネルギーの放出)。この電磁波の波長の一部は光(可視光)として、私達の目で見ることができる。電磁波の波長が磁界と電界を生み、共鳴や干渉が起き、物質を引っ張るのである。つまり磁力と電気を発生させる力を生むのです。また電磁波には、情報を載せることができるのです。音や映像情報が電磁波に乗ってテレビやスマホで見れるとイメージすれば分かりやすいでしょう。
また人は電磁波をエネルギーとして常に放出しています。例えば体温は人から放出している赤外線という電磁波を感知し、測定しています。これらを考えると人がイメージしたこと、願ったことは電磁波として常に外に向かって放出しているということを意味するのです。そして結果として自分から放出した電磁波に共鳴や干渉が起こり、磁力や電気の力等で引力が働くことによって化学結合が起こり物質化し、長い時間をかけて目の前の現実として起こってくる。
これが「精神世界」と「量子力学」が重なるところであり、常に融合していることを意味するのです。
ただし、常に現実化するわけではありません。
パワー関係が存在するので、幸せを願う心と同時に反対の不安の気持ちがあれば、波長(電磁波)の引力が弱まります。そうすると物質化は難しくなる。空気中、どこでもあらゆる引力の力が働いている。前進する力と後進する力が常に綱引き状態。前進する力が負ければ、後退する。飛行機はエンジンの前進する力が負ければ、墜落します。
良いことを思えば良いことが連鎖し、不安を感じれば不安が連鎖する。心というのは常に色んな気持ちがあり複雑でスッキリしない。だから1点の曇りもない願いというのは実は大変なのです。これが「祈り」の難しいところなのです。さらに願いが叶う(引力で結合し物質化する)まで時間掛かるから、染み渡るまで長期間ひたすら清らかな気持ちで祈りつづけなければいけない。
ここまで勉強することで、
ようやくお坊さんの凄いところが理解出来ました。
お坊さんは人の幸せを心清らかな気持ちで毎日毎日ひたすら祈っている。
お坊さんは祈りの継続が自分を高め、心を清らかにすると仰っていました。
そして不思議なことに人のために願うことは、結果として自分の幸せに帰ってくる。
「祈り」というのは祈り続けることが大事である。
ゆっくりゆっくり染み渡るように変化していくので、長く続けられる精神力とパワーが実は必要なのですね。
現在、地球温暖化やコロナ等で世界中が無秩序で混沌としている。
今こそ「願う心」というのことが本当に必要とされているのかもしれない。
多くの人が願うことで大きなパワーを生む。
昔の人は神社仏閣をとても大切にし、地域ごとに建立した。
現代と違って災害が多く、多くの人命が簡単に失われた時代。みんなで、みんなの幸せを願った。
だからこそ神社仏閣はとても神聖で大切な場所だったんだ。
そして「祈り」続けることで、平和が訪れ、みんなの心が清らかになっていった。
最近思うのが、
「祈り」と「科学」は、本当は切っても切れない関係と思う。
「科学の発展」というのは、実は人々の願いが現象として表面化した結果ではないのかな?
少しでも安心して暮らせるように、便利になるようにと「科学の発展」には願いが込められている。
しかし「科学の発展」に伴い、命は簡単には失われない時代になった。進化は安寧や共存という心を忘れ、
願いからから表面化した「科学」は祈りや願いそのもの見失おうとしている。
世の中はパワーバランス。弱肉強食。力が弱ければ、自然淘汰される。
私利だけを考える人が多くなれば、そういう現象が多くなり、
利他を願う人が多くなれば、現象として多くなる。
だからこそ「願う心」が今の時代には必要な気がします。
そんなことを思いました。